言い換え力

「十人十色」とか「みんな違ってみんないい」とか「他所は他所、うちはうち」とか

考え方は人それとぞれ、別にいろんな考えの人がいていいし、みんなが同じように考える必要はない、ということは多くの人が分かっているはずなのに、これがことこの新型コロナウイルスに対する考え方は、「人それぞれ」、と鷹揚にかまえていられる人はあまり多くいないらしく、世の中がだんだんギスギスしてきだした気がします。

 

日本では「自粛警察」や「マスク警察」という言葉が生まれ、英語圏では"covidiot"という言葉が生まれました。

"covidiot"とは、新型コロナウイルスの正式名称"covid-19"と、「愚か者」という意味の"idiot"を組み合わせてできた、新型コロナウイルスへの感染をまったく気にしないで、勝手な行動をしたり、逆に過剰反応で思考停止しトイレットペーパー買い占めに走ったりする人を揶揄する言葉です。

 

英国は人口当たりの新型コロナウイルスによる死者数が世界一になってしまっているのですが、近ごろようやくパブ等の飲食店の営業が解禁され、その解禁日には多くの人が街にあふれ、これまでのうさをすべて晴らすかのようにお祭り騒ぎが繰り広げられた、というニュースを見ました。

Twitterでは、そのニュースに関してそれらの"covidiot"たちを非難するつぶやきと、そしてそのつぶやきに反応するように「開いてるパブに行って何が悪いの、あんたなんか一生穴倉の中でおびえて人生をおえるといいわ」というような反応があって、そこでまたギスギスとした対立が起きていました。

 

問題は、今のところ本当はどちらの意見が正しいのか、世界中をさがしても正解を知っている人は一人もいない、ということです。

本当に正しいのはどちらの意見なのか、絶対に正しい、ということは誰にも言えないということも分かっていながら、なぜこの対立がおさまらないのかというと、やはり、自分の持つ考えと対立する意見の人の存在が、日常で支障になることが多くなってしまっている、ということが原因の一つかなぁ、と思います。

 

通常は、道ですれ違う人が自分とは似ても似つかない思考をする人であっても、困ることなんてほぼないんです。

でも、この新型コロナウイルスの騒ぎに関しては、道ですれ違っただけで腹が立つ、ということがあるんですね。

すごく気にしている人にとっては、マスクもせずに大声で話している人とすれ違うと怖くて不快でしょうし、

あまり気にしてない人にとっては、マスクをしていないだけで白い目でじろじろ見られるのは不愉快きわまりないでしょう。

どちらにもそれぞれ言い分があり、事実として正当性にどちらに分があるのか、いまのところ誰にもわからない状態です。

 

さてさてそこで我々に何ができるのか、というと、とりあえず自分の信じている行動をとり、そして自分とは違うことを信じている人がたくさんいる、という事態を、ただただ飲み込むことしかないわけです。

 

 そして、運悪く自分の思うことと反対のことを信じている人と、そのことについて話さないといけないという事態に陥った際には、できるだけ言葉を選び、無益な対立に事態を持ち込まないことが得策なような気がします。

別に、自分の意見をまげて迎合する必要がある、と言っているのではなくて、自分の言葉が相手の気持ちにどのように作用するのかを考えながら言葉選びをするだけで、無用な対立を避けられるかもしれない、と思うのです。

お互いに、ギスギスイライラしない状態で相手の言い分に耳を傾けることができれば、相手への怒りを燃やすことなく、最後に至極当たり前の結論、すなわち「まぁ、今のところ誰にも本当のことはわからないわね」という合意に着地できるかもしれません。

 

最近、「言い換え力」についての本をチラチラと読みました。

同じ趣旨のことを言っているのに、相手によく伝えることができる人と、まったく言葉が青手に届かない人がいる、それは「伝え方」「言葉の選び方」が違うのだ、という本でした。

そして、また別の本で、「言い換える力」≒「語彙力」と「思考力」が大きな相関性がある、というデータも見ました。

 

否応なくギスギスしがちな世の中にいなければならない事態の今、これを機に「言い換え力」を鍛えて、相手の心に受け入れてもらいやすい話し手になる練習を、初めてみるのもいいかもしれませんね。

 

下の表は、理事長のお友達がシェアしてくれた、相手の心に届きやすい言い換え方の英語版の表に日本語訳をつけたものです。

とっさにこのような言葉選びができるようになれば、相手の気持ちも和らぐし、それによって自分の人生の荒波も、少し凪ぐのではないかと思います。

 

posted by 英語担当 加純